History

沿革

兵庫医科大学病院の前身である武庫川病院眼科には、1971年神戸医科大学眼科学教室より黒住 格(後に市立芦屋病院眼科主任部長、アジア眼科医療協力会理事長)が赴任、その後1972年には可児一孝(後に滋賀医科大学眼科教授)が着任、兵庫医科大学眼科開設の準備をした。

  • 沿革
    1973年(昭和48年)4月に、神戸大学を退職した井街 譲(いまち じょう)教授が兵庫医科大学眼科の初代教授に就任し、同じく神戸大学から下奥 仁(しもおく まさし)が助教授として着任した。1977年には大学院設置のため下奥助教授が大学院教授に昇任した。井街教授はその当時黎明期であった神経眼科学を専門とされ,下奥教授とともに神経眼科研究会(後の日本神経眼科学会)を創立した。当時病態の解明されていなかったLeber遺伝性視神経症、優性遺伝性視神経症の膨大な家系調査を行うとともに、これらの視神経疾患に対して視交叉開放術などの脳外科手術にも積極的に取り組んだ。
  • 1982年(昭和57年)に井街教授が定年退職し、下奥教授が第2代教授として学部教授も併任することになった。研究環境も整備され、視神経炎・視交叉クモ膜炎の動物モデルの組織病理学的検討・髄液の生化学的分析や、ネコ眼球運動やヒト瞳孔の電気生理実験などが行われた。海外学会での研究発表や他施設との共同研究も盛んになり、多くの研究成果を残している。下奥教授はその後1996年には病院長にも就任し、1998年定年を迎えるまで21年間にわたって教室を主宰した。
    沿革
  • 沿革
    第3代教授となる三村 治(みむら おさむ)は大阪医大を卒業後、本教室に入局。講師、助教授を経て、下奥教授退任後の1998年(平成10年)に、眼科教授(2009年から主任教授に呼称変更)に選出された。神経眼科領域を牽引してきた専門施設としての伝統を維持し、特に眼瞼痙攣と麻痺性斜視の病態解明と治療に力を注いだ。県内外から多くの患者が集まり、教室員とともに多数の臨床研究成果を残している。平成21年には眼科専用手術室を擁するアイセンターが開設され、手術件数の増加につながった。 2016年(平成28年)3月で三村教授は退職し、4月より神経眼科治療学講座の特任教授となった。
  • 第4代教授には大阪大学卒の五味 文(ごみ ふみ)住友病院眼科主任部長が就任し、従来の神経眼科領域に加えて、五味教授の専門である網膜硝子体・黄斑疾患領域への診療・研究体制が強化されつつある。
    沿革